2016年03月12日

中学生の自殺

 世の中には不条理なことが山ほどある。
 そんな中で、どのようにして自分を失うことなく生き続ける力を身に付けるか・・・
 そうした力が身に付くような社会環境をどのように整えていくのか・・・
 そのスタートライン、最少単位は”家族” 私はそう思っている。

 家庭でこうしたことを意識せずに子育てし、子供が成長した時に世の中の不条理にさらされる。
 耐えられない人間が増えるのは当然と言えば当然なのでは???

 学校が悪くない、先生が悪くない、なんていう気は毛頭ない。
 しかし・・・
 あまりにも学校や先生になんでもかんでも押し付けて、その上その責任までもを押し付けすぎていないだろうか?
 「あってはならないミス」かもしれない。
 あってはならないミスも犯してしまうのが人間。
 その瞬間に、マスコミも世間も集中砲火のように一人の人間一つの組織を責めあげる。

 責めている人間たちは、それまでの間にそうしたことが起こらないために何をしてきたというのだ。
 何もしないでその瞬間・瞬間にだけ、したり顔で非のある人間を責めたてる。

 マスコミもそうだ。
 ここまで学校を責めあげるのであれば、どうして福島の事故の責任者を責めあげないのだ。
 力のないものを責めたて、力あるものにひれ伏す。
 それこそが教育界をも腐敗させる大きな要因のはずだ。

 自らが腐敗させる社会環境を作っておきながら、その中で必死で生きている弱い人間を追い詰める。
 この部分を見直さない限り、今後も同じような事件が起こり続けることは明白だ。

 教員は、「腐った文部科学省や教育委員会」と「父兄や社会環境」の板挟みになって疲弊しきっている。
 教員にすべての責任を押し付け、押し付ける連中は批評・批判ばかり。

 教員が、真に子どもたちのためだけに働けるような環境を整えることが何より大切なこと。
 教育委員会や文部科学省のために仕事をしているのではない。
 また、本来、親がすべきことを代行するのが教員の仕事ではない。

 この部分を置き去りにして、なんでもかんでも教員に押し付けている限り、皆さんが考えうような学校にはなっていかないだろう。
 どんなに強い信念を持って教員になった人でも、今のような社会環境が続けば、責任を取らされることがないように、できるだけ余分なことはせずに、言われたことだけをこなす(こなすだけで早朝から深夜までというのが実情だ)、という仕事の仕方になってしまうだろう。

 私は、教員がお役所的に責任逃れの言葉を並べ立てる姿には辟易していますが、その原因をつくっているのはその周りの人たちである、と思っています。

 誰が・・・ ではなく、まずは自分自身が責任ある言動をしていく、それがすべてのスタートライン。

 その場限りの犯人捜しを楽しむのではなく、こうした事件がおこりにくい社会環境を、ひとりひとりが自覚を持って作っていこうよ!
 人を責める前に、まず自分自身の胸に手を当てて・・・

 間違えて欲しくない、みんなが同じ方向を見て同じことをする(させられる)、それがまわりまわって大きな事件の要因になることもある、このことは忘れないで欲しい。
 
posted by Noriyuki at 09:51| Comment(0) | 日記
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